アトリエMARIKOの世界
詳細は→「打・GAKUDAN四季~最新ニュース」
そこで、今回はアトリエMARIKOさんの世界のほんの一部を、特集してみました。
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しんちゃんのこと
久しぶりにしんちゃんが来たので、少ししんちゃんの紹介をしたいと思う。
実際、私はほとんどしんちゃんと話すことはない。しんちゃんは声を出すことができないので、何を話していいかわからないし、きれいな目で見られるとなんだか見透かされるみたいな気がして恥ずかしい。5年も四季にいるけれど、ほとんど挨拶以外に話しかけたことがない。
そんな私が何を知っているわけじゃないけれど、しんちゃんは飲み会が大好きなことは知っている。しんちゃんはみんなが、楽しそうに飲み、おいしそうに食べるのを見るのが好きなんだそうだ。
以下は、2008年しんちゃんの写真展&コンサート( 喫茶店にて:出演:打・GAKUDAN四季 )の宣伝のために、会社の朝の3分間スピーチで読んだ原稿です。
しんちゃんのこと
今日は先天性筋ジストロフィーの慎太郎君のことをお話します。
しんちゃんは音楽が大好きで、私の趣味で参加している「打・GAKUDAN四季」という太鼓のチームで、寝たままタンバリンを棒でたたいたりしています。
筋ジストロフィーは筋肉が壊れていき、再生が追いつかずに機能を失っていく病気です。先天性の場合、成人まで生きる方は少ないようです。その慎太郎君が昨年20歳を迎え、写真集がでました。(※現在<平成12年>23歳になりました。)
慎太郎君は仏様のような顔をしています。どこがちがうかじっと考えると、受け入れる顔をしています。赤ん坊や動物や植物のようにそのままの顔をしています。
慎太郎君のお母さんは大変エネルギッシュな人で、ベットのような車椅子を押して、どこにでもしんちゃんを連れて遊びに行き、しょっちゅうチームに差し入れをつくってきたり、誰より周囲のことを心配し、世話をします。これで夜は1時間おきに起きては、しんちゃんの痰とりや寝返りをさせるのです。でも誰よりも笑顔で元気です。
しんちゃんのお父さんは一度重症の脳溢血で倒れましたが、朝の5時からひたすら病院を歩き、リハビリを続け、しんちゃんを介護するまでに回復し、いまでも黙々としんちゃんをつれていろいろなところに現れます。
つい先ごろ、しんちゃんは気管と食道を分離する手術を受けて声が完全に出なくなりましたがそのかわり、すりつぶした食べ物をまた少し食べられるようになりました。ある日のお父さんは、会社帰りに1個600円のコロッケを一つだけ買ってきてしんちゃんに食べさせます。明日は何をたべさせようかというのがお父さんの大変な楽しみです。
両親のモットーは今日の健康を維持しつつ、今日と明日の楽しみをしんちゃんに保障することです。 最近はしんちゃんは初熱など体調が悪い日が多く、入退院を繰り返しています。でも悲壮感は感じられず、ただひたすら一日を感じながら生きています。
このぎっしり今を生きる親子をみて、わたしはしんちゃんのような子供はいないけれど、こんなふうに余計なことを考えず、毎日生きていることを喜べるようになりたいと、心から思いました。 (以下コンサート宣伝)
http://hwm7.spaaqs.ne.jp/poppoppop/link/index.html
四季のおかあさんのこと
昨年末、妻のみほさん(通称 おかあさん)がなくなってから姿を見せない。言論さんとお母さんとけいちゃんは親子三人で四季に参加していた。
ある日、「わたし、乳がんになっちゃったの。」と四季の女子にこっそり話した日から、一年もたたずに亡くなってしまった。
告別式の前日に、四季のメンバーで自宅にお別れに行った。
お別れに行ったら、もともとはかなげな人が、さらにすごく痩せていたので、持って行った写真が役に立った。
私の持つ四季でのすべての写真から探したが、いつも隅のほうで、準備をしたりこまごまとした雑用をしたりしているので、なかなか主役で写っている写真がない中で、唯一、中国公演での写真だけは、顔中喜びに満ちた少女みたいな美しい写真が見つかった。亡くなった顔ではなく、こちらを見てほしいと思った。告別式で飾られた。
いつもメンバーに気を配っていて、控えめによく教えてくれた。太鼓が大好きで、正確に打つのに、いつも「私はへたっぴいだから。」と偉ぶることはなかった。四季の楽器のカバーは、おかあさんがあまり布やタオルなどで作った。とても質素で、ごみをきれいに分別して、物をすてずに手芸に利用する人だった。線が細く、少女のような顔と声をして、静かにこにこ話したが、赤いTシャツがよく似合った。秘めた情熱と強さがあったのかもしれない。
中国で、酔って言論さんが他のメンバーと軽い口論になったとき、お母さんが一生懸命「この人は、いっつもこんな風に誤解されるのよ」とかばう姿が印象的だった。太鼓の話をすると二人で夜が更けるのも忘れるのだと聞いた。
告別式では、四季のメンバーで静かに太鼓をたたいた。お焼香の間、先生が夕焼け小焼けなどの童謡を笛で吹いた。ちよさんは、「いい告別式だった。わたしが死んだら、こんな告別式をしてもらいたい。」といった。
その夜は、まるでお母さんそっくりの、細くてきれいではかない、三日月がでていた。
言論さんは四季に来ると、きっとおかあさんをおもいだすから、つらいのだと思う。
でも、昨年、総会で20周年になることをみんなに思い出させて、コンサートを開くきっかけを作ったのは言論さんだ。
言論さんの「ヤサー!!」という掛け声を早く聞きたいと思う。
弟といとうちゃん
先日も酪農の就職先に行く途中でガードレールに激突して、病院で重傷といわれたにもかかわらず、三日後には肉離れしたまま牛の乳をしぼっていた。
「初めて”助けてくれ”と叫ぼうと思ったよ。息がしばらくできなかったからさ。」
「死に掛かったついでに、せっかく拾った命だから、もう楽しい苦行はやめて、快楽の世界への扉を開いてみたら。」
「ははは・・・。快楽ねえ。それはないなあ。」
彼は明日世界が終わるとしても、自転車で仕事場に向かう男なのだ。
ちなみに今日は柳さんの西馬音内盆踊りの歌の手伝いで五日市に行った。
車の中で四季仲間の伊藤ちゃんが言った。
「わたしもねえ、なおちゃん。あの時は人生観変ったわよ」
伊藤ちゃんはわたしからいうのもなんだが、遊び人だ。伊藤ちゃんは一度、ぽくぽくいう高い靴(ころぽっくる?)を履いて近所の居酒屋に行き、友達と飲みに飲んだ。飲みすぎて帰りに転んで顔面を強打し、救急車ではこばれた。その後のはれ上がり方はすさまじかったらしいが、その時目覚めたそうだ。
「人生はいつ、何が起こるかわからない。もっと遊ぼう!!」
かわっとらんがな。
人間というのは、変わりたいほうにしか変われない・・といっていい。