管理人:短期入院で出会った人たち
先週、管理人は練習を休みました。理由は高熱が出て短期入院したからです。3泊4日の入院で私があった人のことをお暇なら聞いてください。
「秋晴れの日の抗癌治療」
理由はわかっている。
このしばらくの間に心に培った怒りは、脳みそから細菌を発生し、デニーズで流し込んだビールで体中を駆け巡った。
その晩体温は39度を超え、節々が傷んで、次の日朦朧としながら近くの病院にタクシーで運ばれた。
点滴をしたものの、白血球がかなり減っているらしく、短期入院となった。
部屋は婦人科と泌尿器科の患者が混ざっている病棟で、どこでも病人で込み合っているのか、入れたのは3時だった。
4人部屋のとなりにはばかにひとなつっこい江戸っ子"ふうおばさん(仮)"がいた。
「どうぞよろしくね。」ふうおばさんはがんで8月ぐらいに子宮と卵巣を摘出、もう大丈夫と言われて退院したが、お腹の中に膿がたまっていて、再入院したとのこと。
入院中、ひたすら絶対に寝続けることを心に誓っていた私は早速カーテンを閉め、横になった。
だるく横になっていると、カーテンの向こうに新しい客がきたようだ。うつらうつら、なんとなく会話をきいていると、ちょっとドラマの役者のようなあねさん口調の語りが聞こえる。
「ほんとにいい子で。気をつかってばかり。あたしはね、心配でたまんないよ。」
「姑がひどい・・。ちょっと異常・・。」「本当にいい娘さんですねえ。」「本当にねえ。人生ってやつは・・。この人が絶対いい!!って言うから反対できずに・・・。」「あなたのようないいお母さんがいるからあんしんね。」
「あ、どうもお騒がせしてます。これが実の母で・・・。」
ああ、なんか同室の若い人がきた。とても気を使っている。なんかつらいな・・。しかし”実の母”って、紹介も変だなあ・・。
ぼんやり考えながら横になっていた。
”実の母”が来ていたのは、そとちゃん(仮)。30代後半、色白で、穏やに笑っているようなきれいな女性だった。
ちょっと私のすぐ上の姉に似ている。おとなしいけれど芯がある顔をしている。
栄養士で4人の子持ち、がんの検査でレベル5と判定され、8月に子宮と卵巣を摘出している。
「前の検査からわかっていて、レベル2だったんですよ。3か月後でいいというから行ったら、突然レベル5で、腫瘍は2.5センチになってました。」
「もうすぐ抗ガン治療が始まるんです。2週間後に一旦退院します。一番下の子はまだ1歳半だから心配で。なんか、電話したら泣いているから、聞いたら(姑が)”教育だからたたいた”って。」
そとちゃんは病院のみんなにやさしく声をかける人で、人気者のようだった。お年寄りに誘われて近くのOKに一緒に買い物にいったりしている。
でも日曜日は「娘が来ますから」と部屋で待機していた。
見舞いに来たのはとてもおとなしそうな少し元気のない女の子だった。
彼女は話してみると私が足のけがをした13年ほど前、結婚をしていなくて、ちょうど私と同じ仙川の近い場所に住んでいたらしい。
私がそのあと引っ越した場所にもその頃住んでいた。その後、私が車いすで東京で一人生活を作っていた間、、彼女は結婚し、4人の子供を育てていたわけだ。
「がんには笑いがいいらしいですよ。」わたしはそとちゃんにばかの一つ覚えを披露した。
「そうらしいですね。ナチュラルキラー細胞?でも、家では何年も、笑いがなくて。」
悲しい話の一方、私もそとちゃんもふうおばさんに笑わされた。卑屈なまでに礼儀正しく、相手のいいところをほめるまくるふうおばさんはどこかの殿様のうちに奉公してきたいい家柄の人らしい。(でも家柄は良くてもいびきは大きかった。)
だが、嫁はヤンキーな母を持つ口の悪い”人種の違う嫁”だった。息子が求めるまま、彼女を宿泊させている間に子供ができた。いまは嫁姑でまるで本当の親子のように喧嘩をしあう関係だ。
「ふーちゃんに似ちゃったんだよ。この子、鼻があぐらかいちゃってさ。」「あんたね、私じゃなかったらここでバトルだよ!」
江戸っ子で東京大空襲も経験し、大家族に嫁いで、結婚式に家内で祝い金がすべて紛失してしまうような事態にも、力技で乗り切ってきた。
いまも、74歳で現役で美容院を営業している。
ふうおばさんはひたすら破天荒な家族の姿を語り続けた。
「つまりなんでも言い合える家族ってことですね。」とそとちゃんがつぶやいた。
そとちゃんがいないときふうおばさんにきいてみる。
「お嫁さんの側からなんとかしようとしてなんとかできるものなのですかね。」
「どっちもどっちよ。」
ふうおばさん、カーテンの向こうできらっと目を光らせたような気がした。
二日目に空いたベッドに入ってきたのは抗癌治療3回目で、再発が判明して再入院したのっぽさん(仮)。のっぽさんは手も足も体も痩せてひょろっとしていてニットの帽子をかぶっていた。ちょっと男っぽい感じだが、入った後すぐに高校生の息子がやってきた。
「あんた、おなかすいてるんじゃないのぉ。カレーパン買ってきなさいよ。揚げたてのがあるんだってさぁ。」
カーテンを閉め切った中、やる気がなさそうにぼそぼそしゃべりながら、ぼりぼりとおせんべをかじっている。
3泊4日の入院の間で、後から入ってきたのっぽさんとはあまり話ができなかったが、そのなかでのっぽさんは「たぶんわたしもながくないなあ。」と2回口にした。
ところで、わたしのともだち あかさんは癌で近くの病院に入院している。
退屈余ってメールをたくさん出した。
「あかさん、花火大会いこうね。いま、がんのひとばかりの部屋にいるよ。熱はきつかったけど、赤さんのほうがきついね。よく見舞いの人にあっていたね。すごいね。」
四季のまりこさんにも伊藤ちゃんにも千代さんにも伏見ちゃんにも先生にもメールを出した。
入院3日目にはすっかり熱も下がって健康体になっていた私だったが、退院の手続きは土日をはさんで長引き、火曜の昼には帰れることになった。
いそいそと帰り支度をしていると、そとちゃん、今日はいつものOKやイトーヨーカドーにはいかず、点滴のようなものをつけられ、看護婦さんと話している。
「5錠も飲むんですか。こわいなあ。」
「最初ですから付き添っていますから大丈夫。これが1.5時間。次が3時間。」
看護婦さんがぶら下がった袋の説明をしている。
ああ、抗癌治療、今日からなんだ。とわかった。
なんだか聞きそびれたままカーテンを閉めていた。
トイレの帰り、そとちゃんとあった。
「もしかして、治療・・今日からですか。」
「そうなんですよ。」
「そうですか・・・。」
”頑張って”の代わりに。力いっぱいこぶしを握り締めて、右手ガッツをして見せた。そとちゃんは
「8月から病院にいるだけでいやになるのに、1年8か月も入院したなんですごいですね。」
となぜか、けがをした13年前の私をねぎらった。
病室を出るときもう一窓際のそとちゃんのベッドに行ったら、細い目がさらにほそくなって眠たげだった。
「みじかいあいだだったけど・・・」と言おうとするのをさえぎって、
「具合どうですか。」ときくと「なんかね、すごい眠いの。睡眠剤もはいってるのね。」
私はまたこぶしで右手ガッツをした。何も言えなかった。
窓の外はものすごい秋晴れで、太陽が静かに病室にふりそそいでいた。
エレベーターでなんだか涙が出てしょうがなかった.
その日の晩、お土産をもって病室に舞い戻り、
食後の病室でまた、ばかの一つ覚え「笑いはがんにきく」の話を披露しているわたしがいた。
おみやげはそとちゃんに約束した落語のCDと「入院の極意」と書いた耳栓。
ふうおばさんにあまったTVカード。
おせんべ好きののっぽさんにふりかけ。
のっぽさんが、
「わたしも太鼓やろうかしら。なんか元気の出ることやりたいんだよねえ。」
といった。私はグリーンプラザの四季の練習日を教えた。
「落語、みんなできこう。」とのっぽさんのCDプレイヤーが、回った。
受けなかったら恥ずかしい。「じゃ、わたしは・・・。」退散する。
でも、ちょっと自信ある。あの志の輔も三枝も、私は爆笑したからな。
ふうおばさんがダッシュで追いかけてきた。
エレベーターの前で私は言った。
「なんかわたし、一緒に入院させてもらって、いろいろ勉強になりました。」
「みんなそれぞれそうおもってるのよ。」
私の病気を引き起こした怒り菌。戦った白血球。
みんなを助けるナチュラルキラー細胞。
笑い万歳。
がんは今、二人に一人がかかるといわれているそうです。